躰道の歴史

躰道の微章

躰道の微章は、ある根源的なものを形作っていく「玄制」という言葉を図案化したものである。縦中央の形は「矛」を表し、両サイドの形は「盾」を表している。その両者を言葉になぞらえると「矛盾」という言葉ができあがる。世の中の矛盾に気が付き、それを解決するために躰道は、術理の理法を通して、武を練磨していがなけれぱならない、という意味が込められている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無類の実戦武者との出会い

大正14年に沖縄県・有銘に生まれた祝嶺正献先生は、琉球国王家の血統を受け、また祖父は法律家、父は教育家という家庭で育った。

そんな祝嶺先生と、空手の出会いは、富名腰義珍と親交のあった父のすすめによるものであった。

でばなぜ、父は息子に空手をすすめたのであろうか?

 

 

 

 

 

空手より生み出されし、躰道

この後、祝嶺先生は昭和19年に海軍に入隊。特攻隊の菊水隊に配属された。菊水隊とは、特殊潜航艇(蛟竜)で敵艦に攻撃を与える使命を受けていた部隊である。

だが、この潜航艇には方向を取る舵はあったが、基本的には直線的な動きしかとれない弱点があった。だから、敵の攻撃が早いか、もしくは攻撃距離が長ければ、戦わずして負けを喫することになる。

 

 

 


一問一答

祝嶺正献最高師範に聞いた躰道の名称の由来等

 

 

 

 

 

 

 

 

躰道&玄制流のもととなった岸本祖考ってどんな人?

ケンカの実戦武者であった岸本祖孝老師は、「剛柔流も、上地流も体を固めるだけ。それではケンカはできない。鍛えられぬ目玉や、金的を素早く打ち抜くこと。急所を打ち抜く空手が最強だ」と提唱。

 

 

 

※補足

このコーナーに記載されている内容は過去に月間空手道の取材で採用された内容を抜粋しております。

表現の中に古流唐手とありますが、空手の成立過程で手(ティー)→唐手→空手への成立という説が多く聞かれます。祝嶺先生自身も手(ティー)を習ったとのことですが、取材時にわかりやすくするために空手を習ったという表現をされたかと思われます。