略歴
東京都練馬区出身
1962年8歳で兄である故河内銑重郎とともに、故祝嶺正献最高師範に師事。
16歳で練馬道場を立ち上げる。
1994年つくばに転職し、当初はつくばで躰道を普及する予定ではなかった。
つくば市内にある研究所に大阪で躰道を学んだ経験者が数名おり、河内先生がつくばにやってきたことを聞きつけ、指導を依頼。 つくば躰道協会設立となった。
2003年3月12日 逝去(享年48歳)
上の写真は第17回全日本躰道選手権大会・個人実戦競技決勝戦
の写真(当時29歳)。この試合を最後に現役選手を引退した。
人物
後輩の面倒見が良く、人に慕われる先生であった。
高校生時代は身を守るためと称し、腹に雑誌をあてがいサラシを巻いて登校していたという。 そういう時代であった。
拓殖大學入学後、躰道部に所属。卒業後も練馬道場で後輩を指導する。そのため、後輩には俺たちは河内先輩に習ったという者も多い。
躰道の競技でも数々の実績を残す。全国学生大会において個人実戦競技は第10回大会から設立され、初代の学生王者に輝く。
また、競技としての躰道だけでなく、躰道の母体となった玄制流空手時代の型やヌンチャク等にも精通していた。
指導方法
短時間で集中させる指導であった。 その為、指導中の道場内には独特の緊張があった。
生前、河内先生はこんなことを言っていた。
「合宿であっても、1回の稽古は2時間以上にするな。 考えてみろ、一流のアスリートですら2時間以上の試合になれば緊張が緩む。」 学生相手の言葉であったが、怪我を防止するための意味合いもあった。
指導実績
つくばへ移った後に拓殖大学躰道部の後輩である横山典子がつくばへ移籍。国内での実績のみならず、世界大会において女子実践競技で優勝、女子法形競技準優勝の実績を残す。
他に北里大学躰道部OBの内山仁志もつくばへ移籍。全国大会での法形競技で3位になるなど、指導者としても実績を残した。
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Mihi quidem Antiochum, quem audis, satis belle videris attendere. Hanc igitur quoque transfer in animum dirigentes.
Tamen a proposito, inquam, aberramus. Non igitur potestis voluptate omnia dirigentes aut tueri aut retinere virtutem.